一切唯心造 ~いっさいゆいしんぞう~
清も濁も全ては心が作り出すもの
私達の周囲のあらゆる存在や現象は 心 の働きであり、
すべては 心 が作り出したものに過ぎないという意味です。
西洋の哲学にも、 唯心論 があり、
心を 脳 に置き換えて同じようなことを行って言う学者も居ます。
仏教では 世界は心が作り出すもの として、心が濁っていれば、
どんなに美しいものも、濁って映り、
清い世界は清い心にしかあらわれないと言い切ります。
江戸中期に生きた臨済宗の高僧、白隠(はくいん)の逸話があります。
あるとき若い武士に 地獄の有無 を問われた白隠は やにわに武士を睨み付け、
武士のくせにいまさら地獄の有無を問うとは呆れ果てた、
不忠の臣、腰抜け侍!と口を極めて罵倒し始めました。
あまりの屈辱に耐えかねた武士が刀に手を掛け、
鬼の形相で白隠に切りかかろうとした瞬間、
白隠は そこが地獄よ! と一喝します。
我に返った武士が、 地獄の所存、しかとわかりました。
と平伏すと、白隠はにっこり笑い、
そこが極楽よ。 と言ったという事です。
地獄も極楽も私達の心の中にあり、心が作り出すものに他なりません。
すべてはあなたの心の現われ。
だからこそ、心を清く保つことです。
もっと、身近なところで、、。。。
例えば、、ヨガクラスでのひとコマ。
『このポーズ、できません~~ 無理~~~』
っと、、言ってしまう。。こと、、考えてしまうこと、、ありますよね?
そのこと自体、実際、ポーズが出来ない、、自分を受け入れているようですが
実はリミット・制限を勝手に自分の概念で自分が作ってしまっています。
むずかしい・・・っと判断してしまったら、それは、、むずかしいとなります。
でも。。完成ポーズまでの道のりの、自分はまだ、途中であって、
そこまで行き着くまでの、方法は幾つもあるはずです。
たぶん、否定的な思い、言葉の波動は、、自分の周りをそのように、作ってしまいます。
ポジティブになりすぎて、不可能なことも、、ホラを拭いて、、できる。。っと過信しすぎる
のも、??? ですが。
ただ、、そこまでの道のりを、肯定して、少しずつ。。達成に近づく、、その間、
今の自分のいる場所から見える・感じる・・それが、気持ちよく!
そして、すばらしい景色であること、、に気づければ、、
それは、極楽、、今が極楽であるのです。
ヨガは決して、苦行を推奨しているわけではありません。。笑
今の自分を受け入れる、、そして、そこにいる自分の感じることが、、
しあわせ~っであることに、感謝できる、感動すること。。その毎日を積み重ねること。。
ではないでしょうか。。
心の形・・・極楽ですか?
きっと、今を気持ちよい!っと感じることが出来たら、周りの環境もその、波動に影響されて
気持ちよい世の中になるのだと。。そう、思います。
ぽちっと御願いします。