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2013年9月30日月曜日

内なる自分を見つめる





ここ数週間前から、何かが変わったような気配がします。

掻き乱されるような波動を感じても、

内なる自分を見つめ、

ただそこにある自分を許し、

あなたという存在を自分の中心に置くことが重要です。

ただ あなたでいてください。

問題を抱えている人は、外に解決策を望む前に、

まずその問題についての自分の立ち位置や気持ちをはっきりさせましょう。

ただ、そこに損得は不要です。

自分がどうしたいのか

どうなっていたいのか

『でも…』『だって…』などの
余計な理由付けをせずに、まず素直な気持ちを自覚してみてください。

そしてその気持ちを受け止めてください。

そして、次にその素直な気持ちを邪魔するものがあれば、
それについて考えてみてください。

それは、自分や他人の何を守るために、
自分の素直な気持ちを邪魔しているのでしょうか?

生活?
家族?
自分自身?
仕事?
人間関係?

それはすぐに手放せるものですか?

それともすぐに手放してしまうと現実に困ってしまうものですか?

果たして本当に困るでしょうか?

そこまで考えたら、何か解決策が浮かんでくるかもしれません。

解決策が浮かばない、
手放せないことは、まだ何かやり残していることがあるのかもしれません。

または、まだ『その時』ではないのかもしれません。

いずれにしろ、神は乗り越えられない試練など与えません。

そしてあなたは一人ではありません。

全ての方に光と愛を。

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2013年7月16日火曜日

『分』をわきまえて生きる@ヨガ




「分」

私が大好きな詩に「雨にも負けず」宮沢賢治 があります。

小学生のころ、、暗記させられたので、今でも暗証できますが、

小学生だった私が、この詩の意味をわかるまで、少し時間がかかりました

今でこそ、この宮沢賢治についての知識も増え、彼がこの詩を書いた真意を

以前よりは、しっかりと読み取ることができるようになりました。

しかしながら、小学生だった私も、この詩を読んでから、

この詩に託されている想い、彼の理想とする生き方に対して、

あこがれ?のようなものを持っていました。

このような、心を持てる人になったら、きっと、人として、幸せなのではないか知らん?っと。。

お金持ちになることとか、地位や名誉をもつことが、幸せだとは、


はなっから、思っていなかった小学生だったため。。(笑)

彼のこの「雨にも負けず」は、、ひとつの私の理想的生き方の模範的なものとして、

頭の中に、ずっと、残っていたのですが。。

最近、私は「分」をわきまえる、、という日本語、、をよく、自分に対して使っています。

「分」とは。。

・全体を分けた一部 
・備え持った能力の程度 
・つとめ 

の3つです。

かなり一元論的なお話しになってしまいますが、

ヨーガでは「私」というものは、「宇宙」という全体の一部であると教えます。

多くの人の一般的な感覚では、私たちは宇宙の中に存在し、

宇宙の中で生きているのであって、宇宙の一部という感覚はありません。

ただヨーガでは、宇宙というのは例えれば空に浮かぶ雲のように、

ふわふわと絶え間なく移ろう存在、または悠々と流れる大河のような存在であり、

それを全体とするならば「私」というのは雲の端切れ、あるいは五木寛之さん風に言うならば

大河の一滴ということになります。

ですから、この考えにもとづいて言えば、「私」という存在は宇宙の一部分、

つまり「分」であると言えます。

多くの人は「私」と「私以外」を皮膚という境界線で分けて区別しているわけですが

ヨーガではその区別にあまり大きな意味を置かず、全体の中でその一部として

「私」という存在を捉えているということです。

このニュアンスは、もう少し規模を小さくして例えると分かりやすいです。

例えば、私たちの身体全体を「全体」とするならば、胃袋という分、腸という分、

血管という分など、多くの分に分けることができます。

このとき、胃袋が私たちの身体の中に住んでいる、

腸が身体の中で生きているという捉え方はしないはず。

全体の中でバランスよく機能している各部分があるのであって、

その1パーツだけを可愛がったり、他を犠牲にしてまで特定の部分に

栄養を与えたりはしないはずです。


この人体における各臓器のように、

ヨーガでは「私」という存在は、

宇宙の中に「住んでいる」のではなく、宇宙の「一部分」であるという捉え方をするわけです。

全体をスライスして部分にしていく。すると、その一切れ一切れ(表現悪いですが。。)には

「備え持った能力の程度」というものが生じてきます。これが分の2つ目の意味です。

人体の例で言えば、胃袋には胃袋が持つ能力、腸には腸の能力、腕には腕の、

脚には脚の能力の差が生まれます。

全体を部分に分けていくわけですから、様々な偏りが生じ、

当然能力にも偏りというか差が生じるわけです。

ヨーガでは、私たち一人ひとりも同じであると考えます。

私たちは一人ひとり個性的であり、誰一人として同じ人は存在しません。

例えDNAが同じ双子であったとしても、その一人ひとりは実に個性的で能力の差を持っています。

それはもう毎日見ているので間違いはありません(笑)。

でも多くの人は他人を羨み、妬み、そして自分に嫌悪し、時として絶望します。

全体をスライスして部分があるわけですから、能力の差があって当然なのですが、

その差にばかり心を奪われ、絶望してしまうことが多いのです。

全体の中の一部という発想の中では、この絶望感は実に無意味です。

腕が脚の頑丈さを羨んだり、脚が手の器用さを妬んだり、

胃袋が腸の長さに引け目を感じたり。。。

私たちはみんな違います。間違いなく私たちは皆、

違う能力を持って生まれてきているのです。

だからそれぞれの「つとめ」があるのではないでしょうか。

頑丈だから担えること、器用だから務まること、長いが故に為せること。

これが分という語が持つ3つ目の意味です。

全体の一部だから能力に差があり、差があるからこそ務めがある。

皆さんの個性、能力、そして「つとめ」は何ですか?

ヨーガでは「私」とは「宇宙」という全体の一部だと教えます。

ただ、いきなり宇宙という最も大きな単位を突きつけられると、

ハイそうですかで終わってしまったり、だから何ですかと言い返したくなったり、

今一つ「分」という感覚が実感できません。

でも「宇宙」の一部である地球、あるいは日本、もっと小さな単位で県や市、

さらには会社、家族、サークル、チームといった身近な部分に分けてみるとどうでしょう。

ちょうど胃袋が無数の細胞から構成されているように、

私たちは部分のまた部分であると考えることができ、

まずは自分が属している単位での「分」を実感してみると、

少しピンとくるのではないでしょうか。

その自分が属する「全体」の「一部分」としての自分を自覚し、

そして他の構成員(またもや表現悪いですが。。)とは違う、

とても個性的な能力を自分は持っていて、だからこそ自分が為すべきこと「つとめ」がある。

個性や能力の違いは優劣ではなく、できることの違いであり、つとめの違い

そう考えることで、自分自身を丸ごと受け入れ、そして自分とは違う相手を丸ごと受け入れ

そしてその中で何ができるのかなという姿勢で生きていくことができる。

日本語的に言うならば、そんな「分」をわきまえて生きることこそが、

まさにヨーガが目指す境地であると思っています。 

結論はとてもシンプル。

分をわきまえて生きること。


OM Shanti

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「雨ニモマケズ」

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

 

2013年4月11日木曜日

●目の中の丸太●


●目の中の丸太●


あなたは、兄弟の目にある おが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。

自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。

そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

  ~聖書より~


日々起こる出来事の中で、人とのかかわりの中で、どうしても、その相手への評価を

自分の価値観だけで、とらえてしまったりすることってありますよね。

また、周りからの情報や、うわさでとらえてしまう事もあるかもしれません。

もちろん。その目に見えることが、正しいこともあると思いますが、

自分の中の価値観や、凝り固まった心でものを見たときに、

それは、その人の偏見かもしれないし、一方向からしか見れない、

断片的なものかもしれません。

その人が何か、悪いことをしたとしても、その人に対する、今までの情報で、

固定観念ができてしまって、その感覚でその人をみてしまうこともあるかもしれない。。

自分の目の中をきれいにして、もう一度、見てみると、違うものが見えてくるかもしれない。。

丸太が目に入ってたら、、痛いでしょうけど(笑)

しっかり、目を洗浄して、きれいな目で、相手の人を見ることができるように。。

そうしたら、きっと、見るときに不快感がなくなって、

違うものが見えてくるのでしょうね。

私はカウンセリングするときに、その人の口から出る言葉ももちろんですが、、

他に見えるものも察知します。

もちろん、言葉で表現して、伝えてくださったものについても、

ちゃんと聞いていますが。。

その後ろにある意味や感情、本人が気づいていない感情を見るように心がけています。

近くに行き過ぎると、、その人の悪いところばかり目がいってしまったりしますが、

5歩下がって、その人を見てみると、違うものが見えてきたりします

(遠ざかったり、関係を希薄にすると意味ではありませんよ)

また、右へ移動してみたり、左へ移動してみたり、、違う角度から見てみたら、

違う形に見えたりします。

私の友人に、‘人のよいところ‘を見つける天才がいます!(笑)

彼女はとても、穏やかで、いつもにこにこしていて、一緒にいると、こちらまで、

穏やかな気持ちになってきます。

彼女は、出会った人、友人について、周りの人に対して、

小さなことでもその人を誉める言葉を必ず言うのです(わざとではなくて・・)

その服素敵。。あなたは、とってもスマートな人ですね(このスマートは聡明という意味)

などなど。。そういう風に、毎日、一日、人のよい所を見れる彼女は

本当に素敵な女性なのです。

私も彼女を見習って、悪いことを見つけるのではなくて、

良い所を見るように心がけてます。

自分にとってもそれは、良い一日を過ごすための方法でもあるのですが、

これをするようになってから、本当に人間関係にストレスを感じなくなったので不思議です。



2013年4月3日水曜日

愛の循環 @ ヨガ






 真の意味でぼくを豊かにしてくれたのは、 
ぼくが受け取ったものより  多くのものを与えた場合だけだった
                              ということを認めなければなりません                                                                                                                   サン・テグジュペリ




ずいぶん、昔ですが、「くれない族」という言葉が流行しましたね。。  

xxしてくれない。。っといつも口に出している人たちのこと。

・・<年代がばれますね・・笑>


心に満足感や充実感を感じることのできない人がいます。  


そんなとき、私はこんな話をします。  

一日に1つでよいので、誰かのために何かをしてみてください。  
それは、自分に利益をもたらすものではなくて、
完全に与えるだけのことをしてみてください。

物を与えるという意味ではないですよ。   
その人に、 心から何かをしてあげたり、想ったり、祈ったり。

きっと、毎日、ひとつずつ、そうしていくうちに、  

あなたのその気持ちを誰かに与えることによって、

その与えて、空いたスペースに  誰かがちゃんと、
与えてくれる新しいエネルギーが入ってきて、
気持ちが生き生きしてきますよ。


愛は溜め込んではだめなんですね。ちゃんと循環させなくては。。  

愛の循環...悪くなってませんか?

体の循環だけでなく、愛の循環も良くなるとよいな。。。っと思います。

今日1日が、
愛にあふれ、お互いに愛し合い、敬い、平和な心で過ごせますように



OM Shanti Shanti Shanti 

ぽちっと御願いします。

2013年3月30日土曜日

感謝@ヨガ


            感謝する気持ちで、一日をスタートさせましょう!





ヨガ哲学のニヤマ〈したほうが良いこと)に

サントーシャ=知足(足ることを知る) があります。





足ることを知る

幸福を求めて外へ向かうのではなく

今あるもの、ただあるがままであること。

満足を知る ということ。

つまり現状すでに満たされていることを再認識して

それに感謝しよう。

ということです。

朝目覚めたら、今、こうして、ここにいる ということに、感謝。

そして、感謝の先には、「ありがとう」。。

今日、何に感謝をしましたか?

そして、何回、ありがとう を 口に出して言いましたか?


そして、、その先にある、感情を感じてみてください。

そこにいる、あなたは、とても、穏やかで、幸せを感じているあなたがいるはずです。


ぽちっと御願いします。

2013年3月22日金曜日

ナマステって??@ヨガ






マステ って

ヨガクラスで、よく耳にするナマステ、、namaste (ナマステ)ってどんな意味があるのか?ご存知でしたか?

インドの昔からの考え方では、すべてのものの中に神様がいると言います。 

それはちょうど日本の昔からの考え方に似ていて、

山や、川や、木、草、石ころにまで神様が宿っていると言うのです


すべての人の中にも神様がいて、人はそれに気づかないだけだと。


ナマステと言うのは「こんにちは」とか「さようなら」と言う意味なのですが、

元々は「あなたの中に神が見える」と言う意味だそうです。


ナマステはNAMAS・TEと分解できます。
「ナマス」「テ」です。

「ナマス」の意味は・・・・・、
礼拝する、おまかせする、敬う、従う
といった意味です。


ナマスは「南無」に音訳されます。
ナム=「南無」です。
「帰依」と訳されます

では「ナマステ」の「テ」はナンでしょう?

英語でいえば、「You」です。
つまり「あなた」です。

ナマステ」は「あなたを敬う、あなたに従う」が直訳になります。


ここで終わらないのが、サンスクリット語の奥深さです。

「テ」にはさらに深い意味があるのです。


古代インド哲学では、「あなた」という人間の体も宇宙と考えます


「あなた」には
太陽や月や星々や銀河が光り輝く宇宙と同じように

・・・・・、
あなたの内なる体も光り輝いている
「わたし」にも
太陽や月や星々や銀河が光り輝く宇宙と同じように・・・・・、
わたしの内なる体も光り輝いている。


「あなた」と「わたし」が出会うとき・・・・・、

「あなた」も「わたし」も違いはない。
ただひとつの存在である
それが真実である。
そこに愛がある。

「ナマステ」は単に「感謝します」と訳されます。

しかし・・・・・、
この4文字の中には、
「わたしは全宇宙が宿るあなたの内なる光の世界を賛え」

そして・・・・・、

「わたしたちは全く一つ
という意味を含むのです。


つまり・・・・・、

 
「ナマステ!」と手を合わせて唱えることは、
「あなたの内なる光り輝く世界を讃え、一礼!



そして、互いの出会いに感謝!」なのです
 


皆様に感謝をこめて
namaste 


ぽちっと御願いします。

2013年3月20日水曜日

一大事! 



一大事

~生を明らめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり~ 
                               道元禅師




一大事とは仏法におけるもっとも大切なことを指します。

生とは? 死とは?私達はなんのために生まれ、どう生きるべきなのか?

それを少しでも明らかにすることが仏道を行くものの勤めであると、
道元禅師は言っています。

これは禅者や仏門の者のみならず、人類全てが永遠に問い続ける
命題でしょう。

だからこそ、

~ 一大事 ~ もっとも重要なことであり、

これを明らかにする為にも、また、明らかに出来ずとも

生をより実のあるものにするためにも、

人の一生に無駄に出来る時間はないのです。


~生死重大、無常迅速、各宜醒覚、辛辣放逸~
これは禅寺で朝夕の時を告げる為に打ち鳴らす木板という法具に

墨書きされている語句です。

時は人を待たず速やかに流れる、無駄に費やすことなく修行に勤め、

一大事に向き合えという戒めです。

白隠の師の正受老人は、

一大事と申すは今日ただ今の心なり、

それをおろそかにして翌日あることなし


説いています。

高僧でも、哲学者でもなくても、

今日ただ今を懸命に生きることは出来ます

それを忘れずに生きていきましょう。

今日も深い呼吸で一日お過ごしください。

ぽちっと御願いします。

2013年3月1日金曜日

自分自身を受け入れる@ヨガ






美しさとは、あなた自身であるということです。


他人に受け入れられる必要もありません。
あなたが、、あなた自身を受け入れるということです。



ヨガのクラスにいらっしゃる方たちは、はじめは、
アサナ(ポーズ)の流れや、アサナ自体がはじめてなので、
とても、ドキドキしていらっしゃっていると思います。

周りの人は、長く続けていらしてくださってる方も多いので、当然
講師の誘導のもと、どんどんとポーズを作っていけますが、

はじめてだと、その雰囲気にも、緊張するし、
自分だけ、ついていっていないような
焦りも感じてしまうのかもしれませんね。
まわりのキョロキョロみて、、。

そういうことは、実は実生活でもあることです。

初めての場所、会社や学校での自分のポジションや人間関係、
地域のお付き合い。。

ヨガというのは、面白いもので、ヨガマットの上でアサナをしていると、
そういう自分自身の生活・人生を表し、そこで体験することをそのまま、
マットの上でも同じような感情が生まれてしまうのかもしれません。

マットの上で色々な感情に向き合い、自分自身を知ることも、
ヨガの目的でもあると思います。

そのマットの上で感じたこと、、
手がつかない、前屈がきつい、、脚がぷるぷるして、バランスがとれない。。
そういったことに対して、 

あ~ できない
。。 私はだめだ~ と 思ってしまうこともあるでしょう。

しかしそこで、 
手がつかないところから、、一歩手前で膝をすこし曲げて,
体の力をぬいて、大きく呼吸をしながら、行うと、、
すっと、気持ちよい
ポイントが見つかるところがあります。

そのとき、体と心はとてもリラックス
して、気持ちよい
感覚を感じることが出来ますが、
それは、実は、自分をちゃんと、自分で知ったということになるわけです。
今は自分はこのポジションが気持ちのよい場所なのだ・・っと
。。。

そこからは、すこしずつ、広がりを持って行きます。
自分の場所がちゃんとわかると、そこから、こっちにもあっちにも
進むべき道が出来てきますから、
すこしずつ、一歩一歩、今、自分がいる場所をしっかりと見極めること。。

それが、ヨガであり、そして、それが人生をしっかりと生きることでも
あるのだと思います。

私がよく、クラスで
表皮は柔らかく、中はしっかりと。。と生徒さんにお伝えしてます。

土台・軸をしっかりで、 周りはやわらかくすることで、
きっと、力ははいっていないようでも、

しっかりと自分自身の軸を持つことが出来るので、
周囲に対しても、とても、よい雰囲気になっていますよ。

自分自身をまず、受け入れること。
それが、毎日の生活をよりよくすることにつながると思います。

ご自分の気持ちのよい場所を見つけてくださいね。

2013年2月26日火曜日

平和な心@言葉を変えてみる





ちょっとしたことで、毎日を平和な心で過ごせるようになります。

だれでも、はじめから、腹を立てたいと思っていたり、

人とけんかをしたいと思っているわけではありませんよね?

威圧的な態度をとったり、けんか腰に声を荒げたり、文句ばかり言う人がたまにいます。

そういう人は、相手に自分を知らしめたいのではなく、

自分自身も自分でわからないのかもしれません。

自分の存在を自分で確認したいだけかもしれません。

ただ、もっと、有効な方法があるのを知らないだけです。

とげとげしさを、周りに振り回しても、周りが傷つくばかりでなく、

自分自身をも傷つけることになります。そうやって、誰も自分に近づかなくなり、

さらに、自分の形(アウトライン)がわからなくなってきてしまいます。

まず、自分を丸く、していってみたらいいのです。

そうしたら、きっと、回りも丸いその人に、近づきやすくなります。

そして、その人のアウトラインをまわりが作り出してくれるのです。

周りの人。起こること、に対して、ちょっと、言葉をかえて反応してみましょう。

すこしずつ、、周りの形も、自分の形もかわっていくことでしょう。


言葉を変えてみる

『あたりまえ』を『ありがとう』と言うのが【感謝】 

『だから、なに?』を『おめでとう』と言うのが【賞賛】 

『もう、ダメだ』を『これからだ』と言うのが【希望】 

『なりたいな』を『なってやる』と言うのが【決意】 

『もういいや』を『まだ待とう』と言うのが【忍耐】 

『疲れた』を『頑張った』と言うのが【努力】




2013年2月23日土曜日

OM オームって宇宙ができた時の音?


「オーム」OM 



クラス開始や、最後に このマントラを口にすることが多いと思います。
わたしも、このOM オーム を繰り返し、唱えることが好きです。


インドでヨガをしていた時にも、もちろん、
必ずこのマントラを唱えてましたが、そして、
いろいろな宗教でも。。
「アーメン!や 」「アーミン」「南無」も
オームが変化したものだといわれてます。





インドにいたときに、グルから、 OM は 宇宙ができた時の音なのだよ。: 

と言われました。。


クラスの時に お~~~~~~~~~む~~~~

長く音を唱えることのほうが多いのですが、


OM ーーおんーーっと、、音?がして。。宇宙ができたと。。。


グルは遠くを見つめながら言っていました。。

そのとき、わたしは、、素直に、そうなんだぁ。。。っと思ったのですが、
今は、もっと、確信して、そうだよね。。っと思っています。。

20年近く、色々なエネルギーワークやヒーリングそして

ヨガ・自然療法に触れ、実践してきたのですが、

益々、、宇宙はOM でできたと感じます。

なので、OM と唱える時に、わたしの体の中で宇宙が広がり、

宇宙になる・・感覚・
・ですね。


OM を始め、マントラを唱える時に起こる振動は、

私達のあらゆるものに呼応します。


マントラのman「心」 tra「超える」という意味です。

マントラを繰り返し唱え、

マントラの言葉と音に心を合わせ委ねることで、


人の深奥にある「内なる平和が現れてきます。

わたしが瞑想をする時、とくにチャクラーを開くときに、唱えるマントラは

この7つのマントラです。

7層のチャクラーに呼応するマントラです。

ラム  ヴァム ラム  ヤム  フム  オーム オム
Lam  Vam  Ram  Yam  Hum Aum  Om


第七チャクラ Om  頭頂部
第六チャクラ AUM  眉間  (SHAM と唱えている人もいました)
第五チャクラ Hum 喉
第四チャクラ Yam  胸の中心
第三チャクラ Ram 胃部
第二チャクラ Vam 下腹部
第一チャクラ Lam  脊髄基底部



これはチャクラのマントラで、
身体のエネルギー・センターを目覚めさせてくれます。

普段は一定のリズム第一~第七まで繰り返しますが、

一つのマントラだけで繰り返し唱えることもできます。

それぞれの音を対応するチャクラに結びつけながら、唱えます。

その日、その時間によって、

心地よく そのマントラが入ってきたところを繰り返し唱えると、

そのうち、体の中でその音がふくれあがって、、体の中に宇宙が

広がる感覚が。。


エネルギーレベルを高めるために、
チャクラ・マントラを唱えて下さいね。

まずは。。。


心の中でマントラの7つ言葉を繰り返し唱えることから始めましょう。
マントラになじんでくると、あなたが最も必要とするとき
ひとりでに言葉が口から出るようになりますよ。

マントラの音の波動には素晴らしい癒しの力
があり、
大きな恩恵をもたらしてくれます