「あるがまま、なすがまま」を説いている教祖様とか、宗教者さんたちがいます。
これは、かなり危険ではないかな。。っと思っています。
一見すると立派な教えの方の様に見えますが、「我れ好し」に繋がる道にいってしまうと。。。
わかっているのか、いないのか?
たぶん、理解されていないわけですね。
大半が、洗脳されており、いたしかたなし・・・なのですが。。
人は愛と言う言葉に弱くて、誰もが『愛』を言っていれば良い人と思ってしまう?
【あるがまま、なすがまま】は
「達観」の域まで到達していないと、理解できるものではないような・・
それは、あらゆる「執着」を離れた状態です。
言葉による教えで理解出来る境域ではないので、
その段階に到達していない段階で、あるがまま、なすがままに進んでしまうと、
間違いが起こります。
すべてをあるがままに受け容れる
「すべて」も「あるがまま」も「受け容れる」も難しくない言葉です。
しかし『すべてをあるがままに受け容れる』と繋がった時、その示すところを
理解することは難しくなります。
まずINとOUT(来たもの)と(すること)の二通りに分けて考えてみると
わかりやすい。。
一つめのIN、来たものとは、一般に運命と呼ばれるように
自分の力ではどうすることもできずに、この身に降りかかる出来事、状況のことです。
つまり『自分に起こるすべての出来事、状況をあるがままに受け容れる』ということです。
それは、すでに起こってしまったことを『今ある現実』として受け入れるということです。
よく誤解する人がいますが『あるがままに受け入れる』ということは
『なすがままにされる』ということとは違います。
『あるがままに受け入れる』ということは、
すでに起こってしまったことを『今ある現実』として受け入れるということですから、
例えば、今まさに誰かに殺されそうなとき、
殺されることを受け入れるということではありません。
『今ある現実』は「今、自分を殺そうとしている人がいる」ということだけです。
私たちには自由意志があります。
「今、自分を殺そうとしている人がいる」という『今ある現実』をあるがままに
受け容れた後の行動は、自由に選択できるのです。
『今ある現実は何か?』この言葉を使うと、
実際に自分が直面しなければいけないことをはっきりさせることができます。
今しなければいけないことをはっきりさせることで、
無駄に悩むのを防ぐ効果があります。
そして、いつもわかることは、
現実問題として、すでに起こってしまったことは、受け容れるしかないということです。
しかし、実際には、自分の望まない出来事、状況が起きたとき、
多くの人はそれを受け入れずに否定しようとします。
否定するとき、その反応の結果として、ネガティブな感情や思いが生じます。
それが心を乱し、幸せを感じられなくするのです。
否定している時は、今ここに生きていない時です。
過去に原因を探したり、誰かほかの人のせいにしたりして、
そのために今の否定的な現実があるのだと言い訳をして
自分がその現実を受け容れなくても良い理由にします。
しかし実際はどんな理由があったとしても、
起こってしまったものは受け容れるしかないのです。
また、誰のせいにもできないとき、
この先に状況が変わることを期待して未来に逃避します。
しかし、それでも今の現実は受け容れるしかないのです。
起きてしまった出来事、状況(現実)を否定している間中、
ネガティブな感情や思いが生じ、心が乱れ、幸せを感じることができなくなっています。
私たちにできることは、
今の現実をあるがままに受け容れること、そして、次の選択をすることだけなのです。
次の選択をするとき、
何かのせいにしているときは、過去に文句を言ったり、誰かを責めたり、
そんな選択になりがちです。
しかし、受け容れてしまえば、次の選択はより効果的なものになります。
自分に起きたすべての出来事をあるがままに受け容れる、
それがINのあるがままです。
そして、それは穏やかな心をもたらし、
わずかなことからも幸せを感じさせてくれます。
そして、次のより良い選択をもたらしてくれます。
長くなったので、OUT(すること)は別の機会に。。
ぽちっと御願いします。