「YOGAとは」
今から遡る事、2500年前、パタンジャリという人物が、
YOGAに関する最初の書物「ヨーガ・スートラ」を著しました。
この中でパタンジャリは、ヨガを「チッタ・ヴェリッティ・ニローダ」-
すなわち「心の作用の止滅のことである」と定義しています。
私自身がは「ヨガとは心を鎮めるものだ」と解釈しています。
これは現代でも最も一般的なヨガの定義で、
著名な導師であるk・vデーシカチャール氏がこの点をより詳しく述べています。
彼の著書によれば、ヨガが目指すものは
「ただひたすら対処に心を傾け、その状態に何も妨げられることなく維持すること」
だと言います。
ヨガを知らない人は、色々なポーズを総称してヨガと呼ぶのだと考えることが多いようですが、
ヨガという言葉はサンスクリット語の「ユジュ」から派生しており、
「ユジュ」とは本来「統合する・結ぶ・つなぐ」という意味の言葉です。
この語義からは、「再び統合する」「失ったバランスを取り戻す」あるいは
「自己を調和の取れた状態へと導く」といった意味合いが浮かび上がってきます。
「ユジュ」には他にも
「思考を一点に集中させる」「自分自身に意義を集中させる」
「瞑想を深める」という意味があります。
これら全てが、『ヨーガ・スートラ』から引用した上述の定義にぴったり当てはまります。
つまり、ヨガというものは、実は心の状態を指す言葉なのです。
ただ、完全に穏やかな心を手に入れるという目標は、あまりにも壮大すぎて、
そう易々とは実現できません。
そのため、このような心の状態へと至りやすくするための、
実践方法が編み出されたのです。
平静な心というのは、実体が無く、つかみ所がありません。
それに比べて、ヨガの体位をマスターする場合は、
形が整っているか、より柔軟に体が伸びているか、
どれだけの時間の静止ができているかなどで、自分の上達度を計ることができます。
まずは、体という目に見えるものになじんで、
徐々に心の平静という目に見えないもの目指す方が、
じかに心の平静を目指すよりはずっとたやすいと言えるでしょう。
出発点はよく知っている世界ですが、
そこから体と呼吸を使ってヨガを実践していくうちに、
次第に未知の世界へと到達していくのです。
ヨガの体位や呼吸法によって心身がひらかれてゆくにしたがって、
心が静かに澄んでい行くという、
喜びに満ちた深遠な体験を感じられるようになります。
人間の心がつい過去や未来へと思いをはせてしまいがちなのに対して、
体は常に現在という時間に存在しています。
困難な行を継続的に行うことを重点に置いたヨガを「ハタヨガ」といいますが、
このハタヨガにおいては、
自分の体を意識することが大切だとされています。
あらためて、体を捉えなおすことで、心を現在の時間へと呼び戻すのです。
心が現在という時間にとどまっていれば、
過去や未来におもいわずらう憂いは消え、「こうすべきだ」「こうせねばならない」という
重しがはずされます。
ヨガによって、すっきりと洗われたような心地になるのも、たとえ短い間とはいえ、
過去も未来も無い、今このときだけに生きる存在になるからなのです。
現在という時間に至る度に、心の重荷が少しずつ取れてゆきます。
しばらくすればまた同じような心配事を抱えてしまうかもしれませんが、
大事なのは、そうした憂いを忘れるための訓練をすでに行っているかどうかなのです。
現在という時間に至る度に、心の重荷が少しずつ取れていきます。
やがて、ストレスを解消するのが難しくなくなり、
心の平静を保てる期間も長くなってくるでしょう。
こう考えてみると、ヨガは人生の修練そのものだと言えます
ヨガの実践は、あなたが生まれ変わるための、またとない手段になるでしょう。
『ヨガ・スートラ』によると、ヨガは8部門から成り立っています。
・道徳的な戒律・体の鍛錬・呼吸法・集中力(対象に心を結びつけ維持する能力)
・瞑想(想念が一点に凝縮された状態)などが含まれてきます。
「アーサナ=座法」=体を使ったポーズを一般的にはヨガといいますが、
しかし、心身の統一感が得られ、自我とうまく向き合えるきっかけになり、
本当の自分を思い出させてくれるものなら、何でもヨガといえるのです。
たとえば、海辺を散歩したり、広い公園の芝生を見るだけでも、ヨガになりますし、
意識的な深い呼吸をするだけでも、それはヨガなのです。
自分という存在の核となる部分を見つけるのに役に立つ訓練であれば、
どんなものでも重要といえます。
核となる部分が見つかれば、そこから離れないように生きることで、
心を平静に保ち、目標に向かって確実に歩んでいくとができるようになります。
心身のバランスの崩れは、大きなストレスが原因です。
バランスを崩したまま生活するのは、激流に逆らって泳ごうとするようなものです。
岸から離れれば、離れるほど、川の流れに押し流されて、戻るのが難しくなります。
けれども、日常の人々や物事に適切に応えつつ、なお自分自身とのつながりを
持ち続けることができるかどうか。。
それが問題といえるでしょう・・・・・。
ヨガを行ってください。
むずかしく考えずに、つねにヨガをできる生き方をしていきたいと思います。
ぽちっと御願いします。