『主よ、私があなたに従うと決心したとき、 あなたは、すべての道において、
私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生のいちばんつらい時、 一人分の足あとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、 私にはわかりません』
主は、ささやかれた。
『私の大切な子よ、私は、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない
ましてや、苦しみや試みの時に。
足あとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた』
子供の頃から、「わが道を行く」タイプだった私は、
親からもこの子は自分の思ったことをまげないから、何を言ってもだめ・・
みたいに、思われていたようです。
とにかく、自分の信じた道をひたすら、つらぬくみたいな頑固な子で、
親も大変、手こずったようですが、勝手に自分で何でも決めてしまって、
親には事後報告。
それで、10代の頃は自分は一人で何でもできてしまう。。
と思っておりました。
こうして半世紀ほど、生きてきましたが、
就職活動の面接の時に、「あなたは、とってもしっかりした、素直な性格ですね。」
と言われました。「はい、そのとおりでございます」・・
内心、、自慢げにそう答えてました。。
しかし、その方に 「御家族や周囲の方に愛されて、育ったのですね」っと言われ・・
思いもよらない、その言葉にわたしは、はっとしました。
私のこの性格は、自分が、色々なことで悩み、考え、経験し、
作り上げてきたのだし自分自身に「えらいぞ~!自分」
みたいに思っていたのです。。 ところが・・思い上がっておりました。
人は一人では生きていけない。。それは、わかっていました。
しかし、愛を与えられて育ったなどと、意識をわざわざしたこともなく、
全く認識もしていなかったのです。
こうして半世紀ほど、生きてきましたが、
つらかったとき、
悲しかった時、
困難にぶち当たった時、
いつも誰かが、何かが、共に歩き、私が弱って倒れ掛かっている時、
私を背負って歩いてくれていたのだと気づきました。感謝せずにいられません。
これからも、誰かに、何かに、助けられながら、
そして、誰かを、何かを助けながら 生きてい来たいと思います。
今もたくさんの方たちに、愛をもらい、支えてもらいながら、毎日過ごしてます。
ありがとう