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2013年2月11日月曜日

ありがとう ~呼吸の極意~





呼吸の極意「感謝にあるんじゃないかなと思ってます。 

いつも絶え間なく呼吸をしてくれている「からだ君」に感謝をしてみる。

からだの各パーツに「いつも動いてくれて、ありがとう」

感謝を素直に伝えてあげる、お参りするみたいに

ひとつひとつ丁寧にありがとうを言っていく。 


そうしていくうちに、からだ君は素直に喜んでくれ
要らない力はことごとく消え去り、ぽんと自分だけが残るような感じ。

さらに、自分さえも消え去り、周りを一体化しているような感じになったり・・



日本語の「ありがとう」発音には

不思議な力があると聞いたことがあります。 

枯れていて元気のない花が元気になったり

果物も美味しい実をつけて育ったり

友達から言われるとただそれだけでうれしかったり 

最高の賛辞であり
最高のご褒美であるのかもしれません。 

でも
もっと不思議なことに
「ありがとう」って、人からはたまに?言われることがあっても
まかりまちがっても、ほとんどの人は自分自身には決して言いません。 


いつも
「もっと動けもっとできるだろう」

「あれがダメだったこれがダメだった、もっとがんばれ」


「無能だ、ダメなやつだ」


「まだ足りない、まだ足りない」


と言いまくってるのにも、かかわらずです。 


けなすような言葉は自分に常に言い続けているのに
誉めるような言葉は自分には決して言わないのです。 


以前のわたしも、その典型で。
いつも自分に対して、、だめだめ、、、こんなんじゃだめ。。。
っと言っていた様に思います。


そういうことは、自分から溢れて人に対してもしてしまうこともあるわけで
ある日、本当に、人にひどいことをしてしまって...
その前からいろんなところで失礼なことをしていたのだと思いますが
ある日、気づかされました。 

それは、今あることに、現状に、まるで感謝が足りなく
それが原因で、周りの方々に多大な迷惑をかけてしまって
心底、後悔をし、自分を責め続けていました。 


少し落ち着いてからは
「次につながる具体的な行動をしよう!」
「こころに少し思っているだけでなく、どうすれば具体的に感謝を表せるのか?」
そればかりを考えていました。 

色々な本を読んだり人の話を聞いたりしているうちに
ある日「ありがとうを念仏のように言い続けてみたらどうだろう?」

と思ってやってみました。

やってみて、しばらくすると飽きてきて

「なんに対して、ありがとう、なんだろ?」という想いがでてきて・・・。

「んー、それはあの人にも、この人にもだなあ」
「あ、こういう考えられる環境にもそうだし、平和な日本にも」
「たべものを、たべれることもそうだよな」
「仕事にも、働いてお金がないと生きていけないわけだし」
「靴があってありがとうだな、ないと裸足じゃ痛いし」
「もっと言うと皮膚があってありがとうだな、皮膚ないと歩けないし」
「周りの人にも当然そうだよね」
「ってことは、育ててくれた親もそうだし、その親を育ててくれた先祖にもそうだし」
「そうすると、生きていること、呼吸をしていることにも、当然、ありがとうだなと・・・」

「ん?つまり、からだにもありがとう、なのか?」
というふうに、つながってきます~。

当たり前のように生きて当たり前のように呼吸していると
呼吸できるって、とっても、ありがたいことなんだと。

今、元気な、呼吸が楽にできている、からだにも。 


そこで、からだの細部にわたり、緊張しているところは特に丁寧に
「いつも動いてくれてありがとう」と、
本当にお参りするように各パーツに言ってみました。

最初は「緊張させてしまってごめんね」に近い意味で、

申し訳ないありがとうを言っていましたが

「いつもがんばってくれてありがとう」と、こころから本気で言えたとき
はじめて?ようやく?言ってくれたからなのか
からだ君は喜んでくれたのか
呼吸が、いつのまにか、整っていきました。

みなさんも、、ありがとうを念仏のように唱えてみてください。

きっと、心と体が整ってくると思いますよ。

ありがとう